デモクラティック・フィールド のらねこ 手記 子どもから教えられたこと 「デモクラティックスクールなわて」


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手記 - 子どもから教えられたこと

デモクラティック・スクール なわて

自分を生きる学校,デモクラティックスクール,書籍 @ 自分を生きる学校卒園式も終え、2週間後は入学式。
CMじゃないが、娘はピカピカの1年生になれることを、
ワクワク・ドキドキの心境で心待ちにしていた。 が、入学式当日。
そこはこれまで見たことのなかった不思議な世界で、以降も1回1回と学校に行くにつれ、不思議さは増していった。

チャイム、クラス、時間割、遊び時間。 テストに宿題、点数(評価) 、赤ペン。
男子と女子の区別。 男の子は青色で、女の子は赤色で。
暑かろうと寒かろうと、生徒だけは履かないといけない靴下に靴。
喉が渇いてたまんないのに、自由に飲めないお茶。 自由に行けないトイレ。 自由に行けない運動場。
給食の食べ方。 居残り。 親に連絡を取りたいのに掛けれない電話。
理由も道理もわからない規則。 管理。 矛盾している先生のことば・態度、etc…

娘はそれらに何の違和感も感じず、「そういうもんなんだ・・・」とは捉えない子どもだった。
学校には行きつつも、自分のなかで (学校と)キョリをおいて、その不思議な世界を、
ジィーと観察していたのだろう。 引退するまでのあいだ。

娘はモノ作りが好きな子で、「図工」の授業は好きだった。
その日は、粘土で 『動物を作りましょう! 動物なら何でもいいですよ』 だったらしいが、
この枠付きの自由課題に対して、娘は内心「動物しかダメなの? なんで?」と思ったらしく、
今日ひとつめの不思議誕生。

同じような感性をもつクラスのある子が、先生に聞いたらしい。 『動物しかあかんのん?』
先生はその質問にはすぐにこたえず、まず先生に対しての言葉遣いを注意し、
ことば(文法)を省略したらダメだ ということを言った。

次に、発言のある時は手を挙げ、先生に 『ハイ○○君』 と言われたら 『はい』 と返事をして、
そしたら椅子を静かに引き起立して質問をし、また静かに座りましょう。ってことを教えましたね。
なぜそんな簡単なことが守れないのかな?・・・(説教?は続く)となったらしい。

で、最後にようやく、動物しかあかんのん? の質問に答えてくれたんだって。
一言、『ええ! そうです』 と。 するとすかさず、今怒られた(?)ばっかのその子は、
手をあげることなく、立つこともなく、『だからそれがなんでか?って聞いてんねんやんかぁ!』
アジャー また はじめから教えなおし… (おつかれさまデス)

ちなみに、なんでそれしかダメだったか? 『そうに決まっているからです』 だったそう。
チャイムが鳴る10分前、作業終了。
作品は完成していようがいまいが、教室の後ろの棚に置くよう指示され、片付けの時間となった。

下校するなり聞かしてくれたこの話、おそらく正味の制作時間は10分ほどか。
1年生の子どもたちの手の力で、固まっている粘土をこねきるだけでも、おおかた10分はかかると
思うが…  教室の後ろの棚に置かした生徒たちの作品をサァーとみて、先生は言ったそうな。

『動物園じゃなくパン屋さんね・・・』 『今度からはちゃんと時間内に出来るようにしましょう』
いったい何個の不思議を、娘は抱いたことだろう。
娘は、学校の図工には魅力を感じなくなった。

娘いはく、『チャイムってメチャクチャいじわるやねんで! いっつも私のジャマすんねん!!
算数とかのときは なかなか鳴ってくれへんのに、好きなことやってるときは すぐに鳴って、
もう(やったら)あかん!ってチャイムがいうねん。 なんでチャイムが わたしのすること決めはんねんやろ?』



娘が初めてなわてを訪ねた日。 その日のなわての活動に、3時から近くの飯盛山に行って、
焼いもパーティをする!ってのが予定されていた。 ところが、1時になっても誰も用意しない。
2時。 まだみんなコタツを囲んでお喋りを楽しんでいたり、本を読んでいたり…。
3時。 A君が言った。 『あ~3時やなあ、行こかぁ~』
5分とかからないで済んだ持ち物の準備を終えて、みんなで飯盛山へと向かった。

私はこのとき、あることをすごく感じた。
それは、学校と同じく ここ なわても学びの場であるのに、全くもって教育が時計に支配されていないのだ。
時計に従うんじゃなくて、「自分」に添うて時間が流れている所だなぁと。

みんなで決めた公共の「3時」という時間がくるまで、それぞれが「自分の時間」に浸りながら
それぞれの魂にとって心地よい過ごしかたをしていた。 私ひとりを除いて。
この想いは、そのあと、なわてを出て目的地に行く道中も、
着いてからの行動(火を熾したり、芋を焼いたり)のときにも、帰りも、ずぅーーっと感じていた。

ふと思い出した。 子どもたちが小さかった頃の生活には、時計は必要としていなかったことを。
忘れていた感覚だった。 幼稚園、小学校とあがるにつれ、時計に支配されてきていた。
それも朝なんて1分単位で…。

学校中心の生活となり、知らず知らずのうちに、時間をモノ扱いしてしまっていた私は、
たった5分間のために、2時間以上もの時間に縛られ、“今 この瞬間” を生きていなかった。
自分のなかに時計をおくのではなく、時間の中に自分をおいてしまっていたんだなぁ…
時間より前を歩いて。

このとき、もうひとつ忘れられない出来事があった。
飯盛山の麓に四条畷神社があって、そこまでの道のりを電信柱が立つ位置ごとに いんじゃんして、
で、負けた人が荷物を持つ って遊びをしながら行った。(子どもは、“今この瞬間” を楽しむ天才)

大きめの紙袋ふたつ。 たくさんの芋のほかにも、なんじゃかんじゃ入っていて けっこう重い。
6歳の子どもなら、手を伸ばした状態では紙袋は道路に擦るから、肘を上げて持つ格好になり、
いっそう重いだろう。

何回めかのとき、娘がいんじゃんに負けた。
前の回で荷物を持っていた14歳のB君が、『ハイ○○ちゃん!』 と言って、娘に荷物を渡した。
その言い方、渡し方は、すごくすごく自然だった。

私はこのとき過ちを犯した。 娘に 『いけるぅ?』 と聞いてしまったのだ。
娘は一瞬、それは0.000コンマの世界の一瞬だったが、ギロッとした目つきで私を見た。
そう… 私は彼女を傷つけた。 彼女を侮辱していた。 彼女を信頼していなかった。

かたやB君は、6歳の女の子だからといって、特別扱いすることなく、
どれぐらい重いか確認して、これなら自分も持てる!としたうえで荷物持ちごっこ遊びのルールに
同意して、自らの意思で参加した娘に対し、お情けをかけるじゃなし、かといって、見下しもせず、
ただ対等に、彼女と向き合っていた。

優しかったのはB君。
次の電信柱までは運わるく(?)距離が長かったが、腕をブルブルさせながら 娘はたどり着いた。
スタッフが言った。 『うわぁ~、すげ~。 ○○ちゃんって 力もち?』
見ると、満面の笑みを浮かべていた娘がいた。 (この日以降、娘は自分の腕力に、チョイとした自信を持っている)

一番後ろを歩き、みんなの後姿を見ながら私は思った。
「互いを尊重し合えている こいつらって、いったい何者なんだぁーーー」 ってね。
なわてと繋がり交わっていくことで、それがなんでだったか、少しずつだがわかってくるようになった。



ここ なわてでは、子どもはひとりの人間としての 「権利と自由」 が守られている。
「先生と生徒」というような縦社会の関係はなく、大人が決めたものを子どもに従わす、というのも
何ひとつない。 「学校」をイメージするものは何もないのだ。

「すべての学びは、自らの内なる好奇心から始まる」としているので、
娘が言っていた 『なんでチャイムが決めはんねんやろ?』  なわてでは、チャイムが決めはしない。
チャイムはない。 カリキュラムがない。 時間割りもない。 テストや宿題もない。
一人ひとり関心のあることを、自分が決め、自分のペースで学んでいく。

また、様々な年齢の子が自由に交じりあうことで お互いに学びあい、成長しあうとの考えから、
学年やクラス分けは設けず、異年齢ミッククのなかで、年齢に関係なく、
共通の趣味についてのお喋りだったり、スポーツや山登りなど体を動かすものだったりを通して
知らなかったことを知り、出来なかったことが出来たりしていく。

料理に興味を持った子が、料理が得意な歳下の子に教えてもらって一緒に昼食を作ったり、
トランプやボードゲームをするときの仲間集めの方法を、それをなんなくやる子を観察したりして
コミュニティ能力を育んでもいく。

こんなこともあった。 自分のケータイを持った娘。
私が娘にメールをするときは、文章ほとんどを平仮名で打って送ってたんだけど、
数日して、とあるアーティストが好き!という共通点から、16歳のC子ちゃんからメールがきた。
『わ゛ー なんて読むんやろ~?』 見ればそこには6歳の娘には読めない漢字がいっぱいだった。

この時 私は初め、C子ちゃんに批判的な感情を抱いた。
スタスタ~と自分の部屋に行ったかと思うと、辞書を片手にリビングに戻ってきて娘が私に言った。
『なぁ~ 辞書のひき方 教えて~』 と。 私が私を恥じたのはいうまでもない。
「おもいやり」ってなんだ? ってことを学ばさせてもらったこともいうまでもない。

娘は一字一字、辞書をひきながら読んでいき、一字一字 調べながら 返信を打っていった。
すぐさま またメールがくる。 繰り返す。 辞書のひき方は もう覚えた。
ちなみに、娘の漢字遊び (項目【遊び】の冒頭参照)がはじまったのは、これがきっかけだった。

国が出発点となって、そこで定めたものを、下へ(学校へ)、下へ(子どもたちへ)と降りてくる
“させられる” 教育(一律、管理、他律etc) ではなく、
子ども自身が出発点となって “する” 教育(多様(個性)、自己管理、自律etc)
すべては自分で創る。 自分が創る。

全体に関わることは、子どもとスタッフ皆で、すべてミーティングで話し合って決めていく。
日常的なことはもとより、例えば、プールに行きたい! 万博に行きたい! USJに行きたい!
自転車旅行がしたい!! かまくらをつくってみたい!! etc

活動についても、それをしたい!とおもった者自らが、ミーティングで伝えるところからはじまり、
行きたいメンバーを集い、日時から交通手段、情報、宿泊の場合は宿泊先、かかる費用、
その費用をいくらまで活動費から出費するのかどうかに至るまで、誰ひとりとして(行かない人も)
「それはイヤだなぁ~」と思わない案が出るまで話し合い、無から有へと創り、そして実現していく。
(多数決では決めず、ひとりでもイヤだと思う人がいればその案は消え、また一から皆で考えていく)

また規則も、そのどれもが誰ひとりとして「それはイヤだ!」と思わない内容の規則となるまで、
皆で話し合って創っていく。

「空のペットボトルは、各自、飲んだ人が責任をもって自己処理をすること」 (なわてでは捨てられないので) というルールがあるんだけど、なぜか、ペットボトルは増える^^;
こういった類のトラブルについても、話し合いによって平和的に問題を解決していき、
新たなベストなルールが生まれていく。

ここではスタッフも、6歳の子どもも共に平等で対等で、一票の決議権をもっている。
運営の軸となる、人事、財政においても、スタッフ、保護者とともに、子どもたちにも
平等なる一票の権利があり、3者で自治、自立によって治め、運営されている。

年齢や立場に関係なく、一人ひとりが孤立した自由な存在であり、信用され、自分に責任を持てる
人として扱われる。 こういった民主的なやり方を、知識としてではなく、日々の活動を通して、
総合的・体験的に経験していくことで、自分自身に責任をもち、他者のこともきちんと考えられる
ようになり、他の人を自分と同じように尊重することが出来るようになっていく。
そうやって、真の自由を学んでいく。

真の自由???…  子ども本人にある学びの自由、権利は、誰もジャマできない。奪えない。
よって、スタッフは何も要求しない。 子どもたちを、枠にはめようと何かを押し付けたり、
何らかの結果に導こうと指示をしたりもしない。 あれダメ・これダメがないのは言うまでもないが
これはいいよぉ~、ためになるよぉ~といった動機付けを持たせるような呼びかけもしない。

英語を学んでいる子、絵を描いている子、ゲームをしている子、キャッチボールに出かける子、
ギターを弾いている子、PCに向かっている子、みなそれぞれ “自分花”。
個々が選択して行動している活動に、「格付け」 は存在しない。

英語が話せるようになりたくて学んでいる子どもも、ゲームを最後までクリアしたくて攻略本片手に
チャレンジしている子どもも、ともに真剣に取り組んでいる。 そんな2人を比べて
『どっちが偉い? どっちが優秀?』 そんなの比べようがない。
魚と鶏、どっちがスゴイ?って聞かれても、???になっちゃうのと同じ…。

だから評価もない。評価しようがない。
子どもたち自身が、厳しい達成基準を自分に課して、それに向かって自分で突き進んでいく。
だからあるのは、容赦しない厳しい自己評価だけ。



しかしながら、仮に、今 現在、我が子の不登校で悩んでいる親御さんだったり、一般の学校教育に
疑問なり不安なりを抱いている親御さんが、何らかのキッカケでこの手記を読んで下さり、
「自分に関することは、自分で決める。 その自由こそが、子どもに責任を教える」と聞かされても
そうは簡単に 『そうだったのか・・・』 『そうよね!!』 には、なかなかなれない。よね?…。
どうしたって、やはり、『そうは言っても・・・』 になっちゃう。よね?…。 私はそうだった。

社会通念に沿うて何十年と生きてきて、私が認識していた自由とは、
○○をしてもいい? と、親だったり、誰かからOKをもらう「許可書」だった。
(ジュース飲んでもいい?とか、遊んできてもいい?とか、旅行に行ってもいい?とか etc…)

また、自由とは抑圧からの解放でもあった。
(尾崎 豊の 「卒業」 の世界だったし、親は旅行で留守。 イェー自由だ!バンザイ!!
花の休日!自由満喫!!だったりね。 大きな勘違い)

なぜそうなっちゃうんだろう?
子どもを自由にさせておいたら社会に適応しない勝手気ままな非人間的になると信じ(ほんとは怖れ?)、
家庭教育においても学校教育においても一層のしつけや管理を厳しくして、あれこれ注意したり、指示したり罰まで与えたりもするが、すればするほどに、子ども自身が持つべき 「自己責任」 は欠けていく。

自己責任としっかりと不即不離に根づいてこそはじめて自由は成立するものだが、
私のように助けたり、優しさを履き違えたりもして、大人は子どもが所有する問題を、手出し・口出しして
掬い取ってしまうから、自己責任が欠けた偽りの自由だけが遊離していっちゃう。

自由とは、重い責任。  常に自己責任を伴う厳しいもの

本人が、本人のみが、自分について決断をしなければならない。
そして自身が下した決断とともに生きていく。 それは、他者が代わって考えることではない。
自分の行為の結末は、自分が引き受ける。 うまくいかなかったからといって、他者に助けてもらって
済むことではない。

責任感ある人間になってもらいたいのなら、親は(大人は)、安易な方法(干渉)に頼って
己に襲う痛みに甘えないで、子ども自身に、自身の生活、教育、運命、生そのものに責任を持たす。
― 自由は、それほどに厳しいもの ―   自律こそが、真の自由を教え、自立へとつながる。

自分のしたいことや想っていることを、自分で表現することが、自分に対する責任。
自分で表現せず、他者にそれをやってもらったら、自分に責任を取る ということにはならない。
(親はすぐに代弁してしまう・・・罪ある癖だね…反省…)

善悪の判断も、危険性を察知することも、人任せにしていては、自分の行動に責任を持って
セルフコントロールする力は熟睡状態になるし、 自分の行為が、他者にどれほど迷惑をかけているか
ということに気づく感覚も眠ってしまう。

来日した外国人が、日本人の 「自己責任」 の希薄さで、びっくりすることのひとつに、
電車の車内放送があるんだってね。
『乗り降りには十分お気をつけ下さい』  『お忘れ物がございませんように』 …



なわては、不登校の子どもたちのために在るのではない。
ゆえに、不登校を治す場所でもなければ、癒しの場でもない。
不登校? それって(公の)学校から見ればの話でしょ?  こちらから見れば、自由登校にすぎないよ。
そんなことはどうでもいいこと。 教育の主幹をどこにおくのか、大事なのは そこ。

学びの自由がデモクラシーによって支えられている学校 ― 子ども生来の好奇心を信頼して、
人間本来のナチュラル学びを守り、権威者からの管理の重圧の代わりに、民主主義によって運営
され、学校(なわて)生活のすべてが動く デモクラティックスクール ― それが
デモクラティック・スクール フリープレイスなわて である。

なわてに行って、目の当たりにする光景は、他の学校の休み時間のようだろう。
絵を描いてたり、ゲームをしてたり、お喋りをしていたり。
しかしながら、常識と怖れは脇に置いて、 “活動” をしている子どもたちを観ることができるならば
活動への関心と、集中力の高さに驚かされるだろう。



昨年の夏(2004年)、そうとうに老朽化していたなわて(建物)を、援助金のおかげで、
補修工事してやれることになった。 しかしながら、限られた予算なのですべてをプロの大工さんに
お願いすると赤字になる。(涙   そこで、人件費をカットするため、棟梁の指示のもと、
なわてメンバーが見習い職人に大変身?!した。

が、 そのとき棟梁が言った。 『いやぁー8歳の子どもは危ないなぁ』
だけど、娘の瞳はギラギラ、やる気ムンムン。 しぶしぶの棟梁と、交渉成立(?!) 娘も参加。

はつり作業から始まって、次はセメント作り。
大人がスコップ1回ですくえる量も、娘だとその労力は3回は必要とした。 が、 汗がボタボタ
流れ落ちるのもなんのその、娘はめげない。 それどころか、誰よりもますますやる気満々。
休憩なんてものは、娘には不必要だった。

セメントをこね、流し… 娘の一連の動作を見ていくうちに、初めは怪訝な顔つきをしていた棟梁だったが、
明らかに表情は変わっていき、『筋がいい!!』と絶賛までさせてしまった。
娘の体力のすごさや、行動力、実践力、忍耐力、のみこみの速さなどなど 本当に驚かれたようで、
特に、集中力のすごさにおいては、ことばがなかった。

工事は10日間ほどで完了したが、最後、棟梁は娘に言った。
『学校(なわて)やめて、俺んとこ(工務店)来いや!!』 笑いながら NO!と返事をした娘に、
もう一声、『そうか そりゃあ残念やなぁ。 あと10年待つかぁ!』  娘、8歳にして就職先内定?!

どうしてそこまで娘は集中できたのか。 答えは簡単明瞭。 したい!!ことだったから。
なんせ本物の 「図工」 ですものねぇ。
ちなみに彼女の卒園アルバムの「大きくなったら何になりたい?」 の欄には、 だ・い・く と書かれてある。

子どもの興味や関心の方向は、常に未知なもの。
1年たった今現在、彼女の興味は、絵・絵・絵!! ひたすら描き続けている。
子どもに身についた真の学びは、表面上では見えにくいものだから、
親としては、それらがわからぬまま我が子の成長を見守ることは非常に難しい。

だけどね、ベリーベリーショート (ようは、坊主頭!)に、 耳にはヘッドホン。
ランニングに短パン、 足元ビーサン。 何が入っているのか? パンパンのリュックを背負って、
今日もなわてに行く。

どこかのおばさんが声をかけてくれる。『(今日は学校がある日なのに) あらぁ?どこ行くの?』
娘、 『がっこぅ~!!』
おばさん、 『???』

彼女は、自由であり続けるために、自分であり続けるために、より実社会に基づいた厳しい
「なわて」 を選んだ。 ― 枠はない。 指示もない。 評価もない。 頼れるものは自分だけ。
何を欲し、何を選び、どう動くのか。 自分を律し、自分に責任をもち、自分を生きる。
そしてその大切さは他者も同じ。それらを日常の体験を通して、すべては自分(達)で創っていく。
我 Life Story を Happy に ― そんな 「なわて」 を。

今の彼女はもう知っている。
その厳しさこそが 真の優しさであることを。その自由こそが ありのままの自分でいれることを。
自分に合った生き方をしている娘。  その娘は、なわてが、DA I SU KI !!!

あっ、 どう好きかっていうとね、 『夏休みなんて要らない!』 って言っている。 それほどに。

                                               おしまい