デモクラティック・フィールド のらねこ 手記 子どもから教えられたこと 「私の役割」

手記 - 子どもから教えられたこと

私の役割

子ども,笑顔 @ 大切な人を大切に「三つ子の魂 百まで」 という言葉があるが、
ほんっと その通りだなぁと つくづく思う。
しかしながら、我が家の子どもは、既に14歳と9歳。
「後悔 さきにたたず」 これまた おことば通りで。

これまでの子育てを悔やんでみても、もう一度 子どもの誕生時からやり直せるわけはなく、しからばグチャグチャ言わず、
これまでの自分をまるごと認め、 気づいたその瞬間から自分を進化させていくしかない。
やり直したいのなら生きてるうちにしないとね。手遅れだけど、手遅れじゃない。 「明日」に延ばさなければ。



自分以外の他者を愛せれるようになるまで(愛他心) ありのままの自分を愛され続けた子どもは、
どんなにか幸福だろうな。
十分に愛された人は、虚栄心なんて必要としない。 称賛も欲しない。 世間の目に怖れを抱かない。
周囲を信頼し、自分自身を信頼するから、(自分の)心に、すがりついたりはしない。

親の都合で、ベビーカーに乗せられることもない。 昼寝を強要されることもない。
ジュースをこぼしたとき、ぁはぁ~と ため息を吐かれることもない。
買ってもらったばかりのお気に入りのおもちゃが壊れたとき(壊しちゃったとき)、あーだこーだと言われる前に
一言、『ショックだね。 悲しいね』 と言って、気持ちを汲み取ってくれる。

子どもと ≪ 今 ここ ≫ に、共存・共感する  ― そんな愛。

愛されて、愛されて、これでもか! っていうぐらい 愛を注いでもらえるの。
親が善しとするメニューじゃないよ。 量も親が決めるんじゃないよ。 あくまで注いでもらっている側の
子どもが、欲したい時に、欲したいものだけを、欲したいだけ、もうお腹いっぱい!もう満足!ってなるまで
注いでもらえるの。

人は、注がれてきた愛が溢れだすようになってはじめて、注がれてきていた愛に目がいき、
心から感謝もできるのじゃないかな? その愛される喜びを、誰かに わかちあいたくなっていくことで、
他者を愛することができるのじゃないかな? 愛されるより、愛することが、しあわせと感じて。

人は、 “愛される” を知らずしては、 “愛する” は学べない。

ところが恐ろしいことに私(達)は、我が子に、愛される喜びを注ぐ前に、
親を愛しなさい!と、“愛する” を先に強制してしまっているよなぁ。(『言うこと聞きなさい!』とか言ってさ)
立場が入れ替わっているよなぁ。 順序が反対だよなぁ。 なぜなんだろう…

自分(達)が子どもだった頃、親から戴いた愛は、“愛される” ではなく、“愛する” だったからだろうなぁ。
あくまで親が善しとした愛を、親が満足するように… 支配者と服従者の関係。
だからそのやり方が体に染み込み、かつ、そのやり方しか知らない私(達)も、深く考えてみることもなく
また同じやり方で、子どもを育ててしまう。  “力” を、 “愛” と 勘違いして。

虐待の怖いところは、虐待を受けて育った子どもは、自分が親になったとき、
されたことをまたする力の連鎖だとか。
だが、暴力だけが虐待じゃない。親の感情や価値観の押し付けも立派な(?)虐待なんだって。
だから大方の人は、その状態で育ってきているんだって。
した方も、された方も、そういう認識がないだけで…  そして連鎖されていく…

私は、子ども時代に満たされなかった “愛される” の欲求の不満足を、(関心をもってもらえず、
汲み取ってもらえず、認めてもらえずして 抑圧された、感情や、欲求や、選択や、行動や…)
幼少時には親にとって従順ないい子で。 思春期には反抗という形で。 性欲や、金欲や、物質欲で。
恋を知ってからは恋人へ。 結婚してパートナーに。
そして、自分が親になったなら、我が子によっても それらを満たそうとしていた。
しかし、どんなに次々と手にいれても、虚栄心 (甘えの欲求)は、満足を知らなかった。

自分の辛さをわかってもらいたい。自分の頑張りを認めてもらいたい。注目されたい。わぁスゴイ! と言ってもらいたい。 そんなだから、自分の望んでいることが返ってこないと怒りを感じる。(かなしみの正体は怒り)
渋滞すればイライラ? 金がないとブツブツ? パートナーや子どもには、ガミガミ・チクチク?
出かけには化粧。 誰かが来るとなれば、ハイ掃除…

我が子を愛している。 パートナーを愛している。 この家庭を愛している。 そう思っていた。
けれど集中内観によって、本当の “愛する” を知ったとき、何ひとつ愛せてはいなかった自分を観た。

『愛しているよ』 ってか。 愛していたのは子どもをではなく、愛に飢えてた自分自身。
子どもの幸福よりも、まずは自分のシアワセ (安心)。
我が家は平穏。 「今年も家庭円満でありますように!!」って、誰にとっての家庭円満?!
ささやかでも家族の笑顔さえあれば それで しあわせ、って。 だったら、それが無くなれば フシアワセ?
こんな幸福 偽物なのに、そんなことさえ気づけずにいた。

貧しいね。 未だ愛されたがっていただけなんて。 称賛を欲し、認めてもらいたがっていただけなんてね。
あの痛みを乗り越えて子どもを産んだ母親なのに、マザーテレサになれたのは あの瞬間だけだった
なんてね。



天はすべての人に役割を与えているそうな。
だとしたら、私は何をするために生まれてきたんだろう…  私の人生の目的…

何世代にもわたってきてたのであろう “力の連鎖” を、私の代で “愛の連鎖” に変えて、
子どもたちに 愛のバトンを渡したい。

親にとって一番重要なことは、子どもが ♪しあわせ♪ か どうか!!
子ども自身「が」 HAPPYと感じているか どうか!!
決して、ワタシ(親)が! じゃない。 決して、親が、子どものしあわせを決めるのではない。


あなたにとって大切な人は誰ですか?
大切な人を、大切に。  これが天がくれた 私の役割。