手記 - 子どもから教えられたこと
子どもから教えられたこと 下
@ 防御者には自由はない子どもに、『好きなものを選んでいいよ。自分で考え、自分で決めなさい』 と言っておきながら、親の意に反した選択をすると、
直後であれ、ジワジワであれ、飼育者に変貌しているようでは、
一般的に行われている支配と服従関係の教育 (子育て)と何ら
変わらず、子どもに、憎悪と、恐怖と、反抗心を与えるだけだよね。
自由は、与えるものではないから 「子どもにも自由を!」では
ないのにね。
また、子どもの創造性を伸ばしてやることが、親として大事な役割なのに、創造する能力の芽を、親自らが へし折ってしまってた。 絵にも文にも、あーだこーだとケチつけて。評価して。そんなこと言ったら、子どもは自分の感じたものを表現できないのに。子どもの感じ方を否定してしまっていた。
結局のところ、これまた「飼育」。 親にとって OKとするもの以外は認められない。 認めない。
『そんなんでは、あなたは私の子どもではおれません。 ダメ人間です。 不合格!!』
と言っているのと同然なのに…
私は、所有することの方に重点を置いてしまっていたので、
― 目には見えないもの(創造的能力)より、形ある目に見えるもの 。一般的なところでいえば、
地位や名誉や富や、学歴・成績、きれいな恋人、高級車、家に服にヴィトンやら…に、しがみつく ―
自分の欲求(虚栄心)を満たすことにしか目がいってなかった。
惨めな想い(劣等感)を味わいたくないために、子どもを道具のごとく他律化させて。
優越感なんてものは、ほんと毒だわ。 麻薬だね。
(自分の)心を守るために、親の評価を高めようと、我が子の “らしさ” を殺しちゃうんだもんね。
(『ちゃんとしなさい!!』とかって言って…)
親が優越感に浸っているときや、優越感や安心感や満足感を得ようと、エゴめがねを掛けて
子どもに親の意思を押し付け、何かを強要すれば(善悪を教えたり、挨拶だったり、行儀だったり、
勉強だったり、将来だったり… etc) それはイコール、超強力ボンドよりも なお強力に、
我が子に猛烈な劣等感や罪悪感を根づかせるのにね。
いやいや、もっと前、指摘された時点で、もう 根づいちゃうけどね。
“反抗期” は、親のエゴ愛が生んだ、理由ある産物。
私は怒ったりはしてこなかったのに、娘に 『お母さんは怖い』 と言われていた。 ???でいたが、
娘が抱く恐怖心は、私の干渉による、エゴまるだしの支配愛・所有愛によって、彼女の魂を
脅(おびや)かしてしまってきていたからだった。 一見、芽は立派に育っているかのように見えても
根っこに親から植え付けられた恐怖がある限り、オンリーワンの花は咲かない。
赤ちゃんのときは親が世話をしてやらないと生きてはいけないが、やがて間もなく赤ちゃんは、
自分でしたいことが出来るようになる。 (自分がしたいことを自分でしたくなる。)
息子が、ハイハイ (乳児期)もどきを し始めだした頃の話。
本人がひとりでボールで遊んでて、ボールが少し向こうにいった。
私はボールを取ってやり、息子に笑顔で 『はい』 と渡した。
すると途端に息子は むずかって泣いた。 私は彼がなぜ泣いたのか わからなかった。
息子は自分でボールを取りに行きたかったのですね。
泣いたのは「助ける」という親の干渉にあい、進歩を妨げられた彼の怒り(反発)だったんですね。
子どもはこうして敢えて難しいことを自分に与え、創造性を開花させていくんですね。
成長するにつれて、子ども自身が、したいこと ・できること、決めたいこと ・決めれることは
子どもに任せ、親はだんだんと手を放し、支配力を薄めていかないといけない。
私のように、子どもの成長をジャマするのではなくて…
だが親は、靴ひもがいがんでいれば 口を出し、手を出しして直してしまう。 (直させてしまう)
子どもから、『おかわり!』(ご飯)と言うのを待たないで、『おかわりは?』 と親の方が先に
訊いてしまう。下心のある、情報 ・提案 ・呼びかけをしてしまう。(『○○いいと思わない?
してみない?』とかって言い方をして)
自分自身の人生に、自分自身が責任をもつ。
それが人生でもっとも責任ある行動であり、自分自身が負う最高の責任。
他の人間(社会通念)が望んだ人生を生きていては、自己の責任は果たせない。
― 防御者には自由はない ― 今ならこの意味の真実がわかる。
いつ起きるのか、いつ寝るのか、いつ食べるのか、いつ風呂に入るのか、何を着るのか、
何をするのか、自分はどう生きるのか etc …
他にもたくさんの実例はあるが、原点に戻ってからの日々の暮らしのなかで私はこうして、
いかなる干渉も自律を遠ざけ、「本当の自分」は かくれんぼしていくんだなぁと確信していった。
それがわかってからは、子どもたち個人の生き方においては、いっさい干渉しないよう、
常に意識をおいている。 (ウン? ほんまかぁ? アタフタ 今日も失敗したよぉーー 。゚(゚´Д`゚)゚。
3歩進んでは2歩下がるペースでありますが ^^;;; )
自律性(自分を生きる力)は、自分自身がやりたいことを自分自身が知り、自分自身がやりたいこと
をやることから成長していくもの。 だから、やりたいことはやる!! やりたいことをやる!!
でなきゃ 自律性は育たない。 親の感情や都合に基準を置いて従わすのはもちろんだが、
親の価値観だとか倫理だとかを持ち出して、親の判断で、彼 (彼女)らを支配したり 管理したり
評価したりは、もうしたくない。 飼育を行う非人間の自分は、もうこりごり。
子どもたちに教えられてきたこと。
今日一日だけでも山ほどあるが、それは実にシンプルだった。
「学ぶためには、完全なる自由でなければならない」
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