デモクラティック・フィールド のらねこ 手記 子どもから教えられたこと 「いのち」

手記 - 子どもから教えられたこと

いのち

手,太陽 @ 今日は新しい一日息子は、重度の心臓疾患で産まれ、3回の心肺停止をも経験
したのだが、そのことによって私は、彼から
「いのちを生きる」 ということを教わった。

産院で産まれた息子は、ただちに大学病院に転送された。
無菌室のなかで、口元は人工呼吸器。腕に。胸に。お腹に。
足に。と、ちっちゃなちっちゃな体に はりめぐる機械装置。
点滴。おしっこの管… まるでサイボーグだった。

抱くことが出来ない。乳をふくますことが出来ない。
手を握ることも出来ない。名前をよんでも届かない。
当初、私は自分を責めた。 元気に産んでやれなかったことで、随分と自分を責めたものだ。

しかし、2回目の心肺停止が起こったとき、「自責の念」 は、「祈り」 にかわった。
気づいた。それまでの私は、自分を責めることで、現実 (=自分)から救われたかっただけ
だったってことに。
「責める」 という行為は、要は、その事実を受け入れられないからなんですね。

すこし月日は流れ 。。。

半端じゃない数の幼い いのち が 星になるのを見送ってきた闘病生活のなかで、
今日は我が子か… 祈る以外なすすべはなかったある日、手術日が決まった。
数週間違いで産まれた同じ疾患のAちゃんが、今週。 息子は、1週間後の同じ曜日に受けることになった。

Aちゃんの手術は終わった。 Aちゃんは、星になった。
看護婦さんに無理をお願いして(息子を頼んで)仮通夜に行った。(親による24時間看護の病院)
一度も使われることのなかった、産まれてくる我が子のために買い揃えていたベビー布団に
Aちゃんは眠っていた。

その顔は、いつもと何らかわらない天使だった。
友達が(Aちゃんママ)、『抱いてやって』 と言って私にAちゃんをさしだした。
母親経験者ならお分かりだろう。 無意識にというか、反射的というか、自分の手は、赤ちゃんに
むけられる。私はAちゃんを受け取った。
なんのためらいもなく、いつもと同じ感覚で。(この頃は、お互い子どもを抱くことは可能だった)

その瞬間。 衝撃がはしった。
Aちゃんは石だった… 雪よりも、氷よりも、これまでに体感したことのない冷たい冷たい石像のようだった。
腕が だら~ん とならないの。 頬に触れても むにゅむにゅ しないの。

病院に戻ると、看護婦さんの腕のなか、息子は泣いていた。
看護婦さんが、息子を私に 「はい」 って感じでさしだした。 私の手は、意識なしに彼を受け取った
この瞬間、ふたたび 衝撃がはしった。

息子は、あたたかかった。 息子は、涙をながしていた。 生きているから 泣けていた。
忘れることはない。 消えうせることはない。
魂で感じた ふたつの温度は、今の私につながっている。

このぬくもりを奪わないでほしい。 死なないでほしい。
あと6日、あと5日、あと… 手術日は、刻々とせまってくる。
恐怖との闘いだった。

あと3日となった日、息子は、初めて 寝返り(もどき)をした。
時間にすれば、その1秒ほど前か。 私は、不思議な光をみた。
それは、息子に焦点のあてられた、天からの一筋の光だった。

私は、死(手術日)にむかって、その日からの1日、1日を、引き算していたことに気づいた。
一方、死にむかって進んでいるのではなかった息子は、“今” をもらって、“今” を生きていた。
私は、彼のいのちを、私のものとしていた。己のいのちをも 自分のもの、手持ちのものとしていた。

自責の念から解放され、想いは祈りにかわっていたが、 「祈る」 ―
 1日に摂れる水分量 (ミルクも含めて)は、80cc。(心臓に負担がかかるため)
 10分以上 泣き続ければ心不全。 3回もの心肺停止。 限度を超えた電気ショック。
 しかしながら それでもなお、それらを乗り越えて目の前で生きている我が子に、
 自分自身のエゴと、毎日が誕生日となる今日のいのちの尊さ、すばらしさを教えられ、
 「“いのちを生きる” ということを私に分からすために、この子は生まれてきたんだ」 と思った。
― 自我(エゴ)にすぎなかった 「祈り」 からも解放された。

“生” が あたりまえなのではなく、“死” が あたりまえ。
死を想い、我が子のいのちを覚悟できたとき、初めて、ほんとにほんとに初めて骨の髄から血までも、
そのあたりまえではない “生” に 感謝の念を抱いた。



あれから10年の月日が過ぎ 。。。

『おはよう』 と言って、今朝も息子が起きてきた。
いのちが見える。 またひとつ 今日 新しい1日を賜れ、「1」 が 足し算された。
『うん。 おはよう!!』