のらねこ おもうこと
人材教育と人間教育
@ 籠の鳥教育に国家エネルギーが注がれるのは、A君がA君として
あるがままの自分を生きていけるよう人として豊かにするためでは
なく、国家や社会が豊かになるよう その時々の望ましい人材を
大量生産するためです。既存の学校が行っているのは 「人材教育」 です。
そこでは人間を家畜にします。
個々が持つ 「好き」 (=学ぶ力)は切り捨て、規格品に合うよう
加工していきます。責任とは、親や社会(会社)が期待している事、
善しとしている事を遂行するものだ、と洗脳されていきます。
多数の大人は、この人材教育を6歳から受けてきました。自分の
したいことをする、と聞いて、眉をひそめるのもそのためでしょう。
なにせ人材教育は、家庭にもどっぷりと侵入していますから。
人にとってもっとも責任ある行動は、自分自身に正直になり、自分が心からしたいと思っている欲求を
していくことです。 自分の “生” に責任を持ち、生活のなかで、自分の 「好き」 を生かしきり、やがて、
「好き」 で身についてきた経験や技術などをつかって、社会に貢献していく。
それがこの世に生を受けた存在意義です。
自由は責任。 この意を肌で知っていく デモクラティック・スクール(サドベリースクール)は、「人間教育」
です。子どもも大人も平等で対等。 だれもが一人の人間としての権利と自由が守られた環境の下で、
自分の本能に従い、自らが自らを導き、自分が自分を育て、自己を達成していく場です。
@ あるのは信頼と開放教育に自分のことは自分で考え、決断していく。
みんなのことは、直接参加型の民主主義を通して、それぞれが自分の想いを大事にし、伝え、聞きして、みんなで考え、ベストを生みだしていきます。
こうした民主的な生き方を、知識としてではなく、日々実践して身に
つけていくので、成人に達する以前に、自分を知り、自分に信頼を
置き、自分を生かし、相手のこともきちんと考える真の自由人として、
平和で豊かに自分を生きていかれます。
人にも、時計にも、強制されることも、支配されることもない場所。
あるのは、信頼と開放。A君がA君として生きることを大事とします。
だれも、個々人の学びの権利は奪いません。個々人の育ちをジャマしません。ここでは、常識や理屈は通用しません。マニュアルはありません。人を 「普通」 と比べて測る
ものさしもありません。
僕はこんなことを教えられます。私はこれを教えたいと思います。そんな飼育係りのスタッフは、
退場させられる前、自ら去っていくでしょう。
「人材」 とは、自分の 「好き」 をいかして誰かのために役に立つ人のことをいうのだとおもいます。
「好き」 とは、努力を努力と思わないもの。それが自分にとっての天才(才能)です。(好きと得意は違います)根の育たない花は咲きません。 人間力なくして人材力はありえないとおもいます。
デモクラティックスクール情報